2026年10月14日 公開

約1年前、山形県から東京へ移り、新しい生活を始めた丸山聡さん。
障害者専門芸能事務所アクセシビューティーマネジメントに所属し、障害者モデルとしてモデル活動をしています。
現場にプロのモデルとして立つためにスクールを受講してポージングや演技などを学んでいます。現在は、埼玉県にある国立職業リハビリテーションセンターへの入所を目標に学習を続けながら、モデル・俳優として活動しています。
これまでに企業CM・PVなどにも出演し、現在もスクールでポージングや演技を学びながら、自主練習の様子や車いすに乗る姿、杖を使って立つ姿をSNSで発信しています。
現在の活動だけを見ると、丸山さんの生活が、14歳頃に感じ始めた「よく転ぶ」という小さな違和感から大きく変化してきたことは分かりにくいかもしれません。
学校の階段で手すりが必要になり、複数の病院を受診し、17歳のときにライソゾーム病の一つであるシアリドーシスと診断されました。
第1回では、丸山さんが病名にたどり着くまでの経緯と、診断後にどのような不安を抱え、リハビリを続けながら身体の変化と向き合ってきたのかを伺います。
第1回:14歳頃から増えた転倒、3つの病院を経て診断へ――丸山聡さんがシアリドーシスと向き合うまで
1.自立するため東京へ上京、新たなモデル活動にも挑戦
2.14歳頃から増えた転倒。「普通にあること」と思っていた
3.最初は「てんかん」と言われた。でも、薬を飲んでも変わらなかった
4.2週間の検査入院。「脊髄小脳変性症かもしれない」と言われて
5.3つ目の病院で分かった「ライソゾーム病シアリドーシス」
6.「治療法がない」と聞いて、頭が真っ白になった 🔏
7.「リハビリだけは、あきらめずに続けよう」 🔏
丸山さんは現在、東京で暮らしています。山形県にいた頃は就労継続支援B型に週5日通い、リハビリにも取り組む生活を送っていました。
上京後は就労支援への通所はいったん離れ、次の目標に向けた準備を進めています。その一方で、アクセシビューティーマネジメントに所属し、モデル・俳優として実際の仕事にも取り組んでいます。
その一つが、国立職業リハビリテーションセンターへの入所を目指した学習です。
将来の仕事や生活を考えながら、日々勉強を続けています。もう一つが、モデル活動につなげるためのレッスンです。山形県にいた頃からプロとして活動するためにレッスンを続けています。アクセシビューティーマネジメントが運営するスクールで、ポージングや演技などを学び、月4回ほど講座やレッスンを受けています。
レッスンを受けて終わりではなく、自主練習も続け、その様子をSNSで発信しています。車いすに乗る姿も、杖を使いながら立つ姿も、どちらも現在の丸山さんです。病気の話だけではなく、ファッションや表現に取り組む今の姿から、今回のインタビューは始まりました。
丸山さんは長野県で生まれ、22歳頃まで暮らしました。その後は31歳頃まで山形県でお母さまと2人で生活し、就労継続支援B型とリハビリを中心に日々を組み立てていました。
山形県で生活していた27歳の時に障害者モデルのオーディションに受かり、障害者モデルの活動が始まりました。そこから東京へ移り、現在の学習やモデル活動につながっています。住む場所も、日中の過ごし方も変わってきましたが、身体の状態に合わせて次の環境を探してきたという点は共通しています。
上京してからは、国立職業リハビリテーションセンターへの入所を目標に、生活の中に「勉強する時間」が加わりました。
モデルのレッスンと学習は別の目標ですが、どちらも今後の社会参加や仕事を考えるうえで、丸山さんが現在取り組んでいる大切な時間です。
身体の変化を最初に意識したのは、14歳頃でした。日常生活の中で転ぶことが増えていきました。
ただ、転ぶこと自体は誰にでも起こり得るため、最初から病気を疑っていたわけではありません。
少しずつ気になり始めたのは、学校の階段でした。上り下りするとき、手すりがないと不安を感じるようになりました。それまでは特別に意識していなかった動作で、「何か以前と違う」と感じる場面が増えていきました。
転びやすさは、単に回数が増えただけではありません。転ぶことでけがをすることもあり、生活の中で無視しにくい変化になっていきました。15歳頃から病院を受診するようになり、原因を調べる時間が始まります。
「よく転ぶ」という変化は、周囲から見てもすぐ病気だと分かるものではありません。
丸山さん自身も、最初は日常の中で起こることの延長として受け止めていました。だからこそ、階段で手すりがないと不安になるという変化が重なり、初めて「単に転びやすいだけではないかもしれない」と感じるようになりました。
学校という毎日通う場所で、これまで普通にしていた上り下りに注意が必要になる。そうした小さな変化が、身体への違和感をはっきり意識するきっかけになりました。
最初に受診したのは、近くの総合病院でした。
転ぶことが増え、けがをしやすくなったことから、ご家族と一緒に受診しました。そこで伝えられた診断は「てんかん」でした。
薬を処方され、服用を続けました。しかし、丸山さんが感じていた症状には変化がありませんでした。転びやすさや、階段で手すりが必要になる感覚は残ったままです。
「薬を飲んでも何も変わらない」。
その経験から、別の病院で改めて調べてもらうことになりました。希少疾患の診断までには、最初から一つの病名にたどり着くとは限りません。丸山さんの場合も、複数の医療機関を回りながら、少しずつ可能性を絞っていくことになりました。
最初の病院には長く通い続けませんでした。
薬を飲んでも実感できる変化がなく、「この診断で本当に合っているのか」という状況のままでは、原因を探し続けるしかありませんでした。
診断名が付いたこと自体よりも、自分が日常で感じている変化と、医療側から示された説明が合っているのか。丸山さんの診断までの経過では、この違和感が次の受診につながっています。

2か所目の病院では、約2週間の検査入院をしました。採血、脳波、画像検査など、身体を広く調べる検査を受けました。
そこで主治医から示されたのが、「脊髄小脳変性症」の可能性でした。丸山さんの小脳が同年代の人と比べて小さいことも、転びやすさの背景として説明されたそうです。
ただし、担当医はその診断を断定しませんでした。「別の可能性もある」として大学病院への紹介状を書いてくれました。
ここで検査を終えるのではなく、さらに詳しく調べる道がつながりました。
診断名が一度示されても、まだ確定ではない。原因が分からない状態は続きましたが、次の病院へ進むことで、ようやく本当の病名に近づいていきました。
検査入院は、普段の外来受診とは違い、複数の検査をまとめて受ける時間でした。身体全体を調べてもらい、症状の背景を一つずつ確認していく中で、最初の病院とは違う病名が示されました。
それでも「可能性はあるが断言できない」と言われたことで、丸山さんの診断はそこで止まりませんでした。分からないことを分からないままにせず、さらに専門的な検査につなげてもらえたことが、最終的な診断への大きな一歩になりました。
紹介された3つ目の病院でも、約2週間の検査入院をしました。皮膚由来の細胞を培養する検査を含む遺伝子関連の検査や、脳の状態を調べる検査などを受けました。
そして高校2年生、17歳のとき、丸山さんの病名が正式に分かりました。
ライソゾーム病の一つである「シアリドーシス」でした。
現在は、長距離の歩行は困難で、体に起こる震え、吃音症、白内障の発症、けいれん発作などの症状があります。
最初に身体の違和感を感じてから、病名が分かるまでには約2年。複数の病院を受診し、異なる診断を受け、検査入院を重ねて、ようやくたどり着いた病名でした。
丸山さんにとって、診断は「これで治療に進める」という単純な区切りにはなりませんでした。病名が分かった直後、今度は病気そのものについて、これからの生活について、向き合わなければならないことが出てきたからです。
3つ目の病院では、再び長い検査入院になりました。丸山さんにとっては、最初に症状を感じてから「何の病気なのか」を知るまで、病院を変え、検査を重ねる時間が続いたことになります。
17歳という時期は、学校生活や進路など、病気とは別のことも考える年代です。
その中で、これまで聞いたことのなかった希少な病名を知らされることになりました。診断は、原因が分かるという意味では一つの区切りでしたが、同時に、これからの生活を考え始める新しい出発点にもなりました。

診断を受けたとき、丸山さんは「治療法がない」と説明を受けました。病気自体が非常にまれで、世界的にも文献や症例が少ないこと、進行性であることも聞きました。
その説明を聞いたときのことを、丸山さんは「頭が真っ白になった」と振り返ります。
病名が分かっても、その後どうなるのかは分からない。身体がどのように変化していくのか、どこまで今の生活を続けられるのか。その先が見えないことが、大きな不安になりました。
特につらかったのは...
※会員登録をいただくと、丸山聡さんの
インタビュー記事の続きを読むことができます。
プロフィール設定の”関心のあるもの”より「インタビュー」をご選択ください。
──次回の予告|車いすとファッション、丸山聡さんがモデルへ踏み出すまで
車いすでの生活が始まる中、もともと好きだったファッションをきっかけにモデルの世界へ。
次回は、オーディションに挑戦した経緯や、モデル活動を始めるまでの思いを紹介します。
この続きもぜひご覧ください。
無料会員登録をして、次回の記事公開をお待ちください。
インタビュー・作成
一般財団法人 日本患者支援財団 運営事務局